第十四盤 JOHNNY CLARKE, PAT KELLY, HORTENSE ELLIS 『LOVERS ROCK』(1979)

 子供の頃、父親が土曜の晩に僕を車で連れ出すことがしばしばあった。行き先は、山梨や時には長野。車中泊をし、次の日温泉に入って夕方に帰るだけなのだが、その目的はどちらかというと深夜のドライブにあった。それは「旅」と名付けられていた。僕は「旅」が好きだった。深夜のドライブには音楽がかかせなくて色々なジャンルのカセットテープが車には積まれていた。そのルーティーンの中にボブ・マーリーがあった。
 家のすぐ近くに花屋があった。そこのマスターは「ミッキー」と呼ばれていて、父親とは親友だった。その店はいわゆる花屋ではなく、シダの類や見たことのない南国の植物など、珍種ばかりを取り揃えていた。休みの日の夕方、小・中学生の時は、ミッキーのところに行ったっきり戻ってこない父親を呼びに母親に遣わされることも多かった。その店に入るときはいつも緊張した。中に一枚のレコードジャケットが飾ってあった。それがピーター・トッシュの『Legalize It』だったことに気がついたのは二十歳をすぎた頃だった。

 大学生となった僕はラップがとにかくしたかった。でもヒップホップを共有できる友達がいなかった。かと言ってそういうサークルに入ることもできないくらいの天邪鬼だった。スカ好きの友人と共に中南米の音楽を演奏するサークルに入った。そこの幹事長はドラマーであり、ヴァイナルディガーでもあった。ヒップホップのクラシックの元ネタに詳しかった。副幹事長はベーシストで無類のダブ好きだった。キング・タビー、オーガスタス・パブロ、スライ&ロビーをよく部室でかけていた。昔はスケーターでヒップホップも通っていた。トミーボーイが好きだったらしい。その二人がリズム遊びをしているときに、ERIC B&RAKIM「Microphone Fiend」の全バースをスピットしたら化学反応が起きた。二人がバンドを組んだときに僕も誘われた。レゲエバンドだった。僕はマイクが握れればなんでもよかった。そこでラガマフィンをやってくれとベースの先輩にマッド・コブラのCDを渡された。コブラのトースティングをマネしてみた。最初のバースしか覚えられずあとはテキトーにそれっぽくやってみた。二人の先輩が面白がってくれた。初めて聴く人は、それが即興だとは大概気づかなかった。
 ある日、中野ヘビーシックゼロでライブがあった。いつものように盛り上げ役の僕はテキトーな言葉を並べ会場をロックしようと努めた。客の一人に大柄な黒人がいた。そこそこ盛り上がる中、彼だけは僕の言葉を真剣に聞き取ろうとしていた。でもそれが言葉でないことを知った時につまらなさそうに腕を組んだまま動かなくなった。なんだか恥ずかしくなった。その後僕はバンドを去った。

 自分の言葉でラップをしたくなった。SSWS<新宿スポークンワーズスラム>という詩の大会に出た。時間を5分与えられそこでは何をしてもよかった。そこでフリースタイルをし続けるのは苦しくも刺激的なものだった。
 そのイベントに初めて出た時にある女の子と知り合った。彼女の家でかかっていたTROJANの「LOVERS」というコンピレーションがとても気に入った。3枚入りボックスで帰りに貸してくれた。次会う時に返そうと思ったらその子と連絡が取れなくなった。3枚のCDだけが手元に残り、愛聴盤となった。
レゲエはなんでもありだ。最近お気に入りのこのアルバムなんか、ソウルの名盤だと思っている。夏の終わりに、深夜のタクシーの中で静まり返った東京の街並みを眺めながらパット・ケリーの歌声に耳を傾ける至福。レゲエとの思い出が去来した。